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札幌地方裁判所 昭和55年(ワ)5024号 判決

原告

横山典康

ほか一名

被告

三好春夫

ほか四名

主文

一  被告三好春夫は原告それぞれに対し、各九三六万円及び各内金八八六万円に対する昭和五四年一〇月一四日から、各内金五〇万円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれの支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二1  被告樫野初市は原告それぞれに対し、各三二五万円及び各内金三〇〇万円に対する昭和五四年一〇月一四日から、各内金二五万円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれの支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  被告樫野ナツエは原告それぞれに対し、各三二五万円及び各内金三〇〇万円に対する昭和五四年一〇月一四日から、内金二五万円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれその支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三  原告らの被告矢野幸男及び同矢野モモヨに対する請求並びにその余の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告三好春夫、同樫野初市及び同樫野ナツエの負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は主文第一、二項に限り仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、

1  被告らは原告らに対し、別紙目録記載の金員及びこれらに対する昭和五四年一〇月一四日から各支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因及び抗弁に対する認否として、

1  横山智一は次の交通事故(以下「本件事故」という。)により死亡した。

(一)  日時 昭和五四年一〇月一四日午後五時三〇分頃

(二)  場所 沙流郡日高町字千栄番外地国道二七四号路上

(三)  加害車 被告三好春夫所有、訴外樫野公治運転、同矢野ひろみ及び横山智一同乗の普通乗用自動車

(四)  態様 樫野公治が加害車を運転し、前記道路を日高方面に向けて進行中、センターラインを超えて対向車線に進入し、対向車と正面衝突した。

(五)  結果 加害車の運転者及び同乗者の全員が死亡した。

2  被告らは左記の事由によつて本件事故に対する損害賠償義務を負う。

(一)  被告三好は加害車の所有者であり、自動車修理業者として矢野ひろみから同人所有の自動車の修理を依頼されたため、加害車を修理期間中の代車として同人に貸与していた。

(二)  樫野公治は加害車を運転中、法定最高速度を超えて進行した過失により、加害車を対向車線に進入させて本件事故を発生させた。

被告樫野両名は公治の両親としてその権利義務を二分の一宛相続によつて承継した。

なお智一が加害車に同乗するに至つたのは、当日自宅で就寝中に樫野公治の訪問を受け、当時公治が仲違いしていた矢野ひろみとの仲直りの話し合いについて来て欲しい旨懇請されたので、已むなくこれに付き添つたためであり、いわば巻き添えを食つたものであるから、無償ではあつても好意同乗ではない。

(三)  矢野ひろみはその所有する自動車を被告三好に修理のため引き渡し、その間の代車として加害車を借り受けて樫野公治に貸し渡し、本件事故当時は自己が同乗する加害車を樫野公治に運転させ、もつて自己のため運行の用に供していた。而して被告矢野両名はひろみの両親としてその権利義務を二分の一宛相続によつて承継した。

なお被告矢野両名の自白の撤回には異議がある。

3  智一と原告らは本件事故によつて以下の損害を被つた。

(一)  智一の逸失利益 三四四五万一五六一円

智一は死亡当時一九歳であつたので、昭和五三年度賃金センサスとホフマン方式を用い、生活費控除割合を二分の一として四八年分について計算した。

なお現行の損害賠償制度はそもそも不十分なものであり、交通事故によつて一家の主柱を奪われた家庭の悲惨な貧しさは報道されている通りである。その根本の原因は賠償額の控え目な算定方法、即ち疑が(ママ)わしきは被害者に不利益に、とでもいう原則にある。二〇歳の青年労働者が一生その初任給のままで終わるということは絶対にあり得ず、人類が種として存続を続けるためには結婚し、子供を作らなければならないのであつて、そのためのコストが賃金の中に入り込むことは明明白々である。逸失利益の算定上インフレを考慮しないのも、生活費控除割合を二分の一とすることも不当である。殊に後者につき、単身者は何故二分の一なのか不思議である。人間であるというそのことだけで一定の年齢になつたら結婚して子供をもうけるということが極度に強く推定される筈である。また中間利息をライプニツツ方式によるとするのは「疑が(ママ)わしきは被害者に不利益に」という原則が貫徹されたものであるが、これは無情で非人間的な資本の論理そのものである。

また智一は原告典康の跡取り息子であつたが、個人経営の小企業ではきわめて大きな意味を持つ。医者の世界では息子が医大に合格することを大喜びし、私立医大の不正入試に医者の息子が多かつたのは開業に投下された資本がそのことによつて回収可能となるからである。智一は正しくその跡取り息子であつた。息子は息子でもその質がちがう。

(二)  葬祭費 五〇万円

(三)  慰藉料 智一分一五〇〇万円、原告典康分二五〇万円、同つせ分二五〇万円

(四)  弁護士費用 四〇〇万円

(五)  填補分(自賠責保険) 原告一人当り各一〇〇〇万円

(六)  なお原告両名は智一の両親として相続によつて智一の損害賠償請求権を二分の一宛承継した。

5  よつて原告らは被告らに対し、別表記載の通りの未払損害金及びこれに対する本件事故日たる昭和五四年一〇月一四日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べた。

被告三好訴訟代理人は、

1  原告らの被告三好に対する請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求め、請求の原因に対する認否として、

1  第1項中、(四)は不知、その余は認める。

2  第2項(一)は争う。

3  第3項以下は不知。

なお好意同乗につき、被告樫野両名の主張を援用する。

と述べた。

被告樫野両名訴訟代理人は、

原告らの被告樫野両名に対する請求を棄却する。

との判決を求め、請求の原因に対する認否及び抗弁として、

1  第1項中(一)、(二)、(五)は認め、その余は不知。

2  第2項(二)前段は争い、後段は認める。

3  第3項中(五)、(六)は認め、その余は争う。

本件事故は友人関係にあつた樫野公治、横山智一、矢野ひろみの三名が加害車に同乗中に死亡したという事案であり、いわゆる「ドライブ型」の好意同乗であるから、被告樫野両名に責任があるとしても、全損害の三割を減額するのが相当である。

と述べた。

被告矢野両名訴訟代理人は、

1  原告らの被告矢野両名に対する請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求め、請求の原因に対する認否及び抗弁として、

1  第1項は認める。

2  第2項(三)中、被告矢野両名が矢野ひろみの両親であることは認めるが、その余は否認する。

当時樫野公治は通勤に車を必要としていたため、矢野ひろみに申し入れ、同人をして被告三好から加害車を借り受けさせた上で使用していたのであり、横山智一は樫野公治の友人で右事実を知つて樫野と共に加害車を利用していたから、智一は加害車の共同運行供用者である。

また智一は樫野公治が当時免許停止期間中であることを知りながら公治に加害車を運転させて当日矢野ひろみをドライブに誘つたものであるから、好意同乗として損害額の六割を相殺すべきである。

3  第3項につき、(一)のうちの年齢及び(六)は認め、その余は不知。

と述べたが、後に、右2の点につき、

樫野公治が矢野ひろみに申し入れて被告三好から加害車を借り受けさせたと主張した点は撤回する。矢野ひろみ所有の車を通勤に用いてこれを損傷させ、その修理のためこれを被告三好方に預け入れ、その代車として加害車を借り受けたのはすべて樫野公治であつた。矢野ひろみは加害車について、何ら運行の支配を持たず、運行の利益も受けてはいない。

と述べた。

証拠関係は本件記録中の証拠目録記載の通りである。

理由

一  当事者間に争いのない事実に弁論の全趣旨を勘案すれば、以下の事実は明らかである。

1  昭和五四年一〇月一四日午後五時三〇分頃、沙流郡日高町字千栄番外地国道二七四号線上で加害車が対向車に衝突し、加害車に乗つていた樫野公治、矢野ひろみ、横山智一の三名が死亡した。

2  加害車の所有者は自動車修理業者である被告三好である。

3  原告らは横山智一の、被告樫野両名は樫野公治の、被告矢野両名は矢野ひろみのそれぞれ父母であつて、死者の権利義務を相続によつてそれぞれ二分の一宛承継した。

二  本件事故に対する被告三好の責任について判断するに、前記(一2)の通り同被告は加害車の所有者であるから、その運行供用者であると推認することができる。後述の通り同被告は本件事故当時他に一時貸与していたのであるが、同被告が加害車を貸与するに至つたというのは、同被告が自動車修理業者として顧客(これが誰であるかということについては後に検討する。)から修理車両を預つた際、代車として提供したものであることが認められる(弁論の全趣旨による。)から、同被告が加害車を他に貸与したというのもその営業の一環に他ならず、同被告はその貸与中も加害車の運行供用者であるといえるのであつて、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務を負う。

同被告は、樫野らと共に、いわゆる好意同乗の法理によつて智一の損害額を減額すべきである旨主張するが、右の如く同被告が加害車を他人に使用させていたということがその営業上の行為としてなされたものであると考えられることからすると、智一がこれに同乗していたとしても被告三好から見てこれが「無償」或いは「好意」同乗になるとは解し難く、右主張は採用できない。

三1  樫野公治の責任については、成立にいずれも争いのない甲第三号証及び同第四号証によれば、同人は加害車を運転して国道二七四号線を日高方面へ向う途中、カーブを曲がり切れずに中央線を越えて対向車線へ入り込んだ過失によつて本件事故を発生させたことが認められるから、同人は民法第七〇九条によつて本件事故に起因する損害を賠償すべき義務を負う。被告樫野両名は公治の相続人であるから、右損害賠償義務を二分の一宛承継したことになる。被告樫野両名は加害車の運行によつて何らの利益をも得ていた訳ではないが、公治の損害賠償義務の承継を放棄(又は限定承認)した形跡もない以上、右の結論は已むを得ない。

2  ところで弁論の全趣旨によれば、樫野公治が本件事故当時、横山智一を加害車に無償で同乗させていたことは明らかである。智一が公治の車にどうして同乗するようになつたのかという経緯は必ずしも明らかではないが、原告つせ本人尋問の結果によれば、当日それまで智一は専ら自宅の自室にいて外部との連絡もなかつたことが認められるから、事前に公治との約束があつた訳ではなく、公治が加害車を運転して横山方へ誘いに行き、智一がこれに応じたのであろう。公治と智一が数年来の親しい友人関係にあつたことは明らか(高橋、千菅証言)であるし、その頃友人間には、智一の親しい友人である井上るみ子が行方不明になつたため、智一が同人を札幌にまで捜しにいつたが徒労に終つたという共通の認識のあつたことが認められる(高橋証言。なお原告つせ本人尋問の結果によればこれはその通り事実であつたことが認められる。)から、証人高橋勝広の推測する通り、公治は智一の気分を晴らしてやろうと思つて同人に声をかけたということも十分考えられる所である。後に認定する通り、その後の加害車の行動は、確たる目的もなく日高町内のあちこちを走り回つているのであるから、右の如く公治が智一を誘つたのが智一のためかどうかはともかく、公治は智一と共に車で遊ぶつもりでこれを誘い、同人はこれに応じたと考えるのが事情を最も合理的に説明する。本件事故前に公治と智一が仲違いしたということがある(高橋証言)とすれば、元来が幼な友達でもあるし、公治がこの時仲直りを兼ねて智一に声をかけたのかも知れない。

他方原告らは、樫野公治が矢野ひろみと仲直りせねばならない事情があつたため、智一を訪ねて付き添つてくれるよう懇請したのであると主張するが、これに沿う証拠は全くない。また公治がひろみと仲違いしていたということ、そして(彼らの認識として)ひろみに会うのに智一の立会が必要だということと、原告らのもう一つの主張であるひろみが加害車を他から借り出して公治に貸し渡していた(という間柄であつた)ということが両立するとも思われない。

さて前記の事実によれば、智一は公治の誘いに応じたものとはいえ、専らその好意によつて加害車に同乗していたと言つて差し支えなく、本件事故に至るまでこの二人は公治の運転で日曜の午後を共に加害車で日高町内をドライブしていたのであるから、いわゆる好意同乗に該当し、公治に対する関係では実質的公平の見地から過失相殺の規定を類推適用し、智一の損害の一割五分を相殺するのが相当である。

但し智一が公治に積極的に依頼して加害車を運行させたという事情はなく、公治が智一を慰めようとして智一を誘つたということも単なる蓋然性にとどまつてその証明があるとはいえないこと及び当日加害車の運行について主導権を有していたのはこの二名のうちでは明らかに公治である(後述)ことから、これ以上の相殺率を想定することはしない。

四  次に矢野ひろみの責任について検討するに、原告らは同人が加害車の運行供用者であつたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はないから、原告らの被告矢野両名に対する請求は失当である。

1  原告らは、矢野ひろみが加害車を被告三好から借り受けていたと主張するが、これを認めるに足りる直接的な証拠はない。証人千菅光末の証言によれば、当時樫野公治は通勤にどうしても車がなければならない状態であつたこと、本件事故前に自分の車を事故のために修理業者に預けていて代わりの車を必要としていたこと、その後別の小型車を運転して勤務先から帰る途中にまた事故を起こしたため、この小型車が被告三好の「三好板金」に修理に出されるに至つたことが認められるが、右事実からた易く推認されることは、樫野公治は通勤にどうしても車が必要であつたため、自分の車を修理に出した後は知人の矢野ひろみからその小型車(成立(乙第一号証については原本の存在とも)に争いのない乙第一号証、同第二号証の一・二によれば、これは被告矢野幸男所有として登録されたマツダ・シヤンテであることが認められる。証人千菅光末はスズキ・フロンテであつたと供述するが、いずれも外形、車種名とも似たような小型車であつて、この部分は同証人の誤解ではなかろうか。)を借り受けて通勤に用い、これも故障させて修理に出さざるを得なくなつた後は、修理業者(被告三好)から代車として加害車を借り受けて通勤その他に使用していたのではないかということである(被告矢野両名は、一旦樫野公治が矢野ひろみをして被告三好から加害車を借り受けさせたと述べた後にこれを撤回したが、右の「借り受け」までが自白であるとしてもこれは主要事実………矢野ひろみが加害車の運行供用者であること………に対する自白ではなく、単なる間接事実に関する主張に過ぎないから、その撤回に問題はないとすべきである。また被告矢野両名の主張も全体としてこれを見れば、原告らの請求原因第2項(三)を否認していることからも明らかなように、要するに加害車を被告三好から借り受けた主体は樫野公治と見るべきであるという趣旨であることはた易く、読み取ることができる。同被告らは、矢野ひろみが加害車を樫野公治に貸し渡したという主張もしていない。)。現に証人松尾始の証言によれば、本件事故当日、樫野公治はたまたま日高町内の某ドライブインで友人である松尾始らと行き会つて立ち話をした際、この時自分が運転していた加害車について「三好板金の車を借りて乗つているんだ。」と説明したことが認められるが、これは正しく右の推認を裏づけるものに他ならず、後述する加害車の諸状況も専らこれを補強している反面、前記推認を覆すに足りる程の証拠はない(樫野公治が自車に続いて故障させた車が矢野ひろみの車でなかつた可能性はある。)のである。してみれば加害車の運行供用者は樫野公治以外にはあり得ず、矢野ひろみに責任が生じる道理もあり得ない。

また仮に被告三好から加害車を借り受けたのが外形的には矢野ひろみであつたとしても、バスで通学できる矢野ひろみの場合(矢野澄江証言)と異なり、樫野公治は車が「一番好き」(千菅証言)で、その上通勤にも車がないと動きが取れなかつたのであるから、代車を入手するために、矢野ひろみがその所有車の修理を任せた被告三好の「三好板金」が代車を提供し得る便宜を有していることを利用すべく、知人である矢野ひろみを言わば道具として用い、これをして被告三好から加害車を自己(樫野)のため借り受けさせたということは十分考えられるところである。現に後述する通り、その後本件事故に至るまで加害車を使用していたのは専ら樫野公治であつたのであり、右事実は前述した樫野にのみ車を必要とした切実な事情があつたという事実と共に、既に加害車の借受時(借受後のことは後述する。)からその実質的な借主ないし使用者が樫野公治であつたことの有力な傍証となる。

もつとも矢野ひろみは自分の車を樫野公治に貸したことがあつたと考えられることから、同人が被告三好から加害車を借り受けてこれを同様に樫野公治に貸し渡したことがあつてもおかしくはないが、これは単なる推測ないし可能性にとどまり、証拠上これが証明されるどころか、むしろ否定すべきであるのは前述し、また後述する通りである。更に矢野ひろみが加害車を被告三好から借り受けて樫野公治に貸し渡したことが証明されたとしても、貸借の場合にはそれだけで矢野ひろみが加害車の運行供用者になる訳ではない。

結局、いずれにせよ矢野ひろみが被告三好から加害車を借り受けてその運行供用者性を取得したこと(その証明責任は原告らにある。)が証明されたとすることはできない。

なお千菅証言によれば、樫野公治は同年(昭和五四年)六月以来運転免許停止期間中であつたことが認められるが、同人はこれを無視して加害車(その前には自車、「矢野」車)を自在に繰つていたことは松尾、高橋、千菅各証言によつて明らかであるから、樫野公治が当時免停中であつたということは加害車の運行供用者が誰であつたのかを判定するに当つて殆ど意味を有しないことである。

2  次に本件事故に至るまでの加害車の利用状況を検討するに、特に本件事故当時、矢野ひろみが加害車に対する運行支配及び運行利益を有していたと認めるに足りる証拠は全く存在せず、却つてあらゆる証拠は樫野公治がこれを有していたこと、即ち樫野公治こそ加害車の運行供用者であつたことを示している。

まず、矢野ひろみが一度でも加害車を運転、使用していた形跡は全くなく、これを見た者もない。証人千菅光末が供述する如く矢野ひろみが自己の車で樫野公治を通勤の往路又は帰路に送つたことはあつたのかも知れない(もつとも同証人の供述中、矢野ひろみが常に毎朝五時前から樫野公治の送り迎えをしていたという点については、矢野ひろみも定時制高校生であり、家業にも忙しかつたという事実(金子及び矢野澄江証言)からみて、このような事実があつたことは到底考えられず、採用できない。樫野公治が当時免停中であるにも拘らず、白昼から加害車を堂々と乗り回していたことは前述し、また後述する通りであつて、このような樫野公治が朝夕の通勤の運転にのみ矢野ひろみの手を借りなければならないと考える訳もなく、そうした筈もないことは明らかである。なお証人千菅光末の供述中、当時矢野ひろみが樫野公治の家にしきりに泊つていたとある部分は措信しない。)がこれは千菅証言にある通り矢野ひろみが自分の車を運転したまでであつて、別に問題とすべきことでもない。

他方我々の前に現われて来る加害車は松尾、高橋、千菅各証言によつて明らかな通り、すべて樫野公治によつて運転されているのである。即ち右各証言によれば、樫野公治は加害車を運転して(日高?)町内を走つているところを目撃され、本件事故当日の昼下がりに加害車を運転して日高国際スキー場へ行つた際には千菅光末に会い、そして本件事故直前には日高町千栄のドライブインの駐車場で横山智一と共に加害車でサイドターンと称する運転技術の練習をするに至つたことが認められる。そして後述する通り、この時通りかかつた矢野ひろみが樫野公治に「(加害車に)乗れ。」と言われて同乗し、本件事故によつて死亡したのであり、このような事実関係から見れば、本件事故当時、加害車を占有使用してその運行支配及び運行利益を有していたのが樫野公治であることは自明であり、矢野ひろみでは全くあり得ない。

3  証人矢野澄江の証言及び弁論の全趣旨によれば、本件事故当日、矢野ひろみは夕方から勉強を口実に義理の姉である矢野澄江方を訪ねる予定であつたことが認められ、証人金子ヨシコの証言によれば、本件事故の直前である同日午後五時過ぎ頃、矢野ひろみが自宅を出てバス停の方へ歩いていつたことが認められるから、当日矢野ひろみはバスで日高町日高の矢野澄江方へ行く途中であつたと推認され、これに反する証拠は全くない。

他方松尾、高橋両証言によれば当日午後、かねて友人、知人関係にあつた松尾、高橋、樫野公治、横山智一(即ちこの段階から智一は加害車に同乗して樫野と行動を共にしていた。)の四名は、日高町内の某ガソリンスタンドで出会つたことから、ドライブインが二軒ある同町千栄までドライブすることになり(即ち樫野らが千栄へ来たのは確たる目的があつてのことではない。)、松尾車に松尾、高橋の両名が、加害車に樫野、横山の両名がそれぞれ同乗して約三〇分かかる千栄にまでやつて来たこと、千栄までのドライブコースというのは当時の日高町の車の好きな若者の間ではごく一般的なものであつたこと、同所のドライブイン「珍宝堂」の駐車場に車を止めて四人で立ち話をしたり、樫野公治が「サイドターン」の練習をしたりしていたこと、夕方になつて四人とも腰を上げかけ(即ち四人ともそのまま帰宅しようとしていた。)、一部の者が車に乗り込んだところに矢野ひろみがやつて来たこと、樫野公治と矢野ひろみは二、三言葉を交した後、樫野公治が「早く乗れ。」と促し、矢野ひろみが加害車(の後部座席)に乗り込んだこと、加害車と前記松尾車が相前後して出発し、日高方面に向う途中で本件事故が発生したことが認められる。

右事実によれば、当時樫野が加害車を駆つて千栄へ来たのは別に矢野ひろみに会う目的があつてのことではなく(況んや翌日の出勤に矢野ひろみをして送らせるためではない。前記の通り、免許停止中のため車で送つてゆく者が必要だといつて自ら車を運転してその者を迎えに行くことなどあり得ないことである。)、全く偶然の結果であり、他方矢野ひろみがその駐車場へやつて来たのは樫野らがいることに気付いたためであろうが、たまたまその前の道路を通りかかつたというのもこれまた全く偶然の産物であると考えられる。矢野ひろみが加害車に乗る前に樫野公治と何を話していたのかは推測する由もないが、要するに矢野ひろみが本件事故で死亡したのは右の通り事故当日樫野公治の行動の軌跡と矢野ひろみのそれとがたまたま交わつたからであるに過ぎず、矢野ひろみはそれまで加害車の所在も知らなかつたであろう。

要するに本件事故については矢野ひろみも横山智一と共に被害者であつて、矢野ひろみの運行供用者性を云々する余地は存しない。例えば、本件事故当時、矢野ひろみが加害車に同乗していたのは同人がこの時に日高町日高へ行く用があつたために樫野公治が便乗させたのであろうが、この時矢野ひろみが同乗していたことをもつて加害車の運行の利益を得ていたとするが如き議論が仮にあるとすれば、その失当であることは、右の議論を前提にすれば本件事故当日、矢野ひろみ以前から横山智一が加害車に同乗して運行の利益を得ていたことになる(特定の目的を持つてある場所へ行くということだけでなく、例えば気分転換のために自動車を乗り回す、或いはこれに同乗するということも「運行の利益」に他ならない。)ことを指摘するだけでも十分であろう。なおこの時、矢野ひろみは樫野公治が免停中であることを恐らく知つていたであろうが、仮に横山智一はこれを知らなかつたとしても(知つていた可能性も十分考えられるところではあるが)、既述の通り矢野ひろみとしては樫野公治が主導権を有して横山智一と共に乗り回している加害車に樫野に促されて最後に同乗したに過ぎず、免停中であることを知つていたことは、矢野ひろみ(の相続人)が樫野公治(の相続人)に対して本件事故に起因する損害の賠償を請求することがあるとすれば問題になり得るとしても横山智一に対する関係では別段の意味を有しないことである。

4  「以上の事実からすれば、亡矢野が運行供用者としての責任を負う」ものでない「ことは、何の疑いもいれないというべきである。」

本件事故はまたこれを客観的に見れば、一台の自動車に三人の若者が同乗していたところ、運転者(当時右自動車を占有使用していた。)が運転を誤つて三人とも死亡したということであつて、運転者以外の二人はいずれも被害者である。その被害者の一人が他の被害者を相手取り、論を構えて損害賠償を請求するのはいかにも無理であり、また相当性自体が甚だ疑問である。智一を失つた原告両名の悲嘆は十分了解できるところであるが、同じく被害者としてひろみを失つた被告矢野両名の苦痛もこれに劣るものではない筈である。当時、矢野ひろみと樫野公治は親しい友人関係にあつたことをうかがわせる一、二の証拠は存するが、横山智一もまた樫野公治の幼な友達であり、樫野公治は横山智一の許へ自在に出入りし(原告つせ本人尋問。同原告は本件事故当日、樫野公治が智一を訪ねて来たことに気付かなかつた程である。)、また智一は無免許のまま樫野公治のオートバイを借りて乗り回したこともある(千菅証言)という間柄であつた。本件事故前に樫野公治と智一が一時仲違いしたことがあつた(千菅証言)としても、矢野ひろみ・樫野公治と横山智一・樫野公治という親密さの程度の相違によつて損害賠償請求権者と同義務者が区分されるということはあり得ず、またあつてはならない。

矢野ひろみが加害車の運行供用者でないのは横山智一が加害車の運行供用者でないのと同様であつて、原告らの被告矢野両名に対する請求は失当である。

五  進んで、被告三好及び同樫野両名に対する関係で、原告らの損害について判断する。

1  葬祭費 なし

智一の葬儀は「合同で行なわれた」(原告つせ本人尋問)というのであるが、誰が挙行して、どの程度の費用を要したのかということを見究めるに足りる証拠が全く提出されていないから、その出捐者と金額を確定することができない。

2  逸失利益 各一三八六万円

智一は昭和三五年六月四日生れであつた(原告つせ本人尋問)から本件事故当時一九歳であつたことになる。原告つせ本人尋問の結果によれば、当時智一は定時制高校に通う傍ら、父親(原告典康)と共に大工として稼働し、約一三、四万円の月収を得ていたことが認められる。将来、同人が大工としてのどの程度の収入を挙げ得たかということは予測困難であるので、賃金センサスによる男子労働者の平均賃金によつてこれを算出する他はない。本件事故の日から遅延損害金を付する都合上、本件事故のあつた昭和五四年度の賃金センサス(高卒男子労働者の産業計・企業規模計・年齢計平均賃金三〇六万七六〇〇円)を用い、生活費割合五〇パーセントを控除した上、就労可能年齢が満了する六七歳に至るまでの四八年間の逸失利益をライブニツツ方式(係数一八・〇七七)によつて計算すると、概算二七七二万円が得られる。従つて原告一人当りの取得分はそれぞれその二分の一の一三八六万円となる。

(なお逸失利益の計算方法につき、原告らの主張するその余の諸点についてそれぞれ付言する。

まず原告らは、初任給を固定させて計算するのは不当であると主張するが、当裁判所はこのような方法を取つてはいない。

また原告らは中間利息をライブニツツ方式によるのは「無情で非人間的な資本の論理」であると主張するが、本件のようないわゆる逆相続の場合には、賠償金が直ちに原告らの生活費として費消される場合ではないから、ここでホフマン方式を用いるのは明らかに不当である。このような場合にライブニツツ係数を用い、また単身者のときに生活費控除割合を二分の一とする(原告らは単身者の場合にこれが二分の一になるのは不思議であると主張しながら、智一の逸失利益をこの割合によつて計算しているのは何故であろうか。)のも、被害者が六七歳まで稼働して得られた利益を現在の段階で計算してその全部を今両親が受け取る(智一が六七歳に達した時、原告両名はいずれも現在の平均寿命を大きく上回つてそれぞれ九五歳、九一歳になつている筈である。本件記録中の原告らの戸籍謄本による。)ということや被害者の死亡によつて直ちに生計の途を失う妻子がいないということ、その他の事情を勘案した上、当事者間の実質的公平に即したものとして採用されているのであり、原告らの右主張が失当であることは論を俟たない。

いわゆるインフレ加算については(もつとも原告らはこれを損害計算の一環として明確に主張している訳ではない。)、現下の状況からみて、今後四八年間にわたつて民事法定利率による遅延損害金ではカバーしきれず、これを不当とするようなインフレが続くとは思われず、またその証明もない。被害者死亡の場合(特に被害者が若年の場合)にはその損害額の算定はあまたの擬制の上に成り立つているものではあるが、ここにインフレを前提とした加算をすることは新たな仮定を重ねるもので相当でない。

原告らは損害額の控え目な算定は「疑が(ママ)わしきは被害者に不利益に」帰するもので不当であると主張するが、損害額は原告(被害者)が主張・立証すべきもので、その証明のない所ではその不利益を証明責任を負担した方が負うのは当然であつて、疑わしきを被告(加害者)に不利益に帰そうとするのは証明責任の分配を忘れた議論である。

原告らは智一は「跡取り息子」で、「息子は息子でも質がちがう」と主張するが、その内容はこれを逸失利益の算定にどう反映させようというのか明らかでないし、またこのような考え方を前提として逸失利益を計算することは当裁判所の断じて取らざる所である。

要するに原告のこれらの主張は大部分が独自のものであつて、取るに足りない。)

3  慰藉料 各五〇〇万円

智一の死亡による原告らの慰藉料としては、智一が原告らにとつて唯一の男児であつて、原告典康の後継者として嘱望されていたこと(原告つせ本人尋問)、他方当時単身の未成年者であつたことを考慮すると、原告それぞれについて五〇〇万円(合計一〇〇〇万円)が相当である。

なお原告らが主張する智一本人の死亡による慰藉料請求権の取得及びその死亡による相続という概念は不相当につき採用しない(もつともこれを採用したところで慰藉料の総額が増える訳ではないから、議論の実益は疑問である)。

4  相殺後の小計 各六〇〇万円ないし各八八六万円

被告三好に対する関係では、右2及び3の合計額は原告一人当り一八八六万円となるが、そのうち各一〇〇〇万円は自賠責保険金の支払によつて填補されていることは原告らの自陳するところであるから、これをそれぞれ控除すると残額は各八八六万円である。

他方被告樫野らに対する関係では前記の通りその一割五分を相殺すべきであるから、右相殺を行ない、その残額各一六〇〇万円(所詮概算であるから、端数は切り捨てた。)から填補額各一〇〇〇万円を控除すると損害金残額は六〇〇万円となる。

5  弁護士費用 各五〇万円

原告らが本件訴訟の提起・追行を弁護士郷路征記及び同高崎裕子に委任したことは本件記録によつて明らかであるが、弁護士費用としては前記認容額、被告三好及び樫野両名に対する訴訟の難易その他本件口頭弁論に現われた一切の事情を勘案して、原告一人当り五〇万円をもつて本件事故と相当因果関係を有する原告らの損害と認める。

6  支払関係

前記2ないし5によれば、被告樫野両名が負う損害賠償義務の範囲は、原告一人当り六五〇万円であるが、樫野初市及び同ナツエの負担すべき部分はそれぞれその二分の一の三二五万円となる。結局被告樫野両名はそれぞれ各原告に対し、被告三好と連帯して三二五万円及び弁護士費用を除いた内金三〇〇万円について本件事故の日である昭和五四年一〇月一四日から、弁護士費用二五万円について本判決確定の日の翌日からそれぞれその支払の済むまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならない。

また被告三好は各原告に対し、内金三二五万円の限度で被告樫野初市と、また内金三二五万円の限度で同樫野ナツエとそれぞれ連帯して、前記損害金九三六万円及び内金弁護士費用を除いた内金八八六万円に対する本件事故の日である昭和五四年一〇月一四日から、弁護士費用五〇万円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれその支払の済むまで同様の遅延損害金を支払わなければならない。

六  以上の事実及び判断によれば、原告らの本訴請求は主文第一、二項掲記の限度で理由があるからこれを正当として認容し、その余は理由がないのでこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言については同法第一九六条をそれぞれ適用して主文の通り判決した次第である。

(裁判官 西野喜一)

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〈省略〉

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